産経抄コラムより。金田浩一呂氏のこと。

2011/8/31 00:00  コメント(0)  閲覧回数:445   ブックマークするこのログをブックマークする  不適切な投稿として通報する  全体に公開


 8月29日の産経新聞のコラム「産経抄」の話しにほのぼのとした人間味のあることが書いてあったのでご紹介をしたい。

 ほのぼのといっても、ある人が亡くなったという話だ。

 金田浩一呂。コラムニストの先輩記者であるらしい。
 その人のことをどうしても書いておきたい、とい思わせるような人物であったのだということが伝わってくる。

 引用してみよう。



2011.8.29 02:38  先月20日に、先輩記者の一人が79歳でひっそりと亡くなった。「ひっそり」というのは、生前葬儀の手配を自分で済ませ、娘さんに「誰にも知らせるな」と厳命していたからだ。それではあんまりと先週末、友人たちが「天国へ送る会」を開いた。

 ▼「敏腕」とはお世辞にもいえない記者だった。駆け出しの支局時代、せっかくのスクープを間違えてライバル社に電話送稿し、感謝された逸話(いつわ)を残す。

 ▼文芸記者になってすぐに担当したのが、阿川弘之さんだ。長女でエッセイストの佐和子さんは、「あー」という電話の前置きの声が懐かしいという。しばしば「私はどこに電話しとるんでしょうか」と情けない声が続く。別の日には、自宅と間違えたのか「今日はうちでメシを食う」の一言で切ってしまう。
 ▼故遠藤周作さんとの交遊も文壇では有名だった。「婚前交渉とかしとるんですか」。長男でフジテレビ常務の龍之介さんは30年前、たまたま婚約者を交えて4人でお茶を飲んでいたとき、いきなり切り出されて仰天する。「父親のおれでも聞いとらんのに」。遠藤さんはくやしがった。
 ▼よく家を追い出され、遠藤宅で食事をごちそうになった。遠藤さんに勧められて修道会が発行する月刊誌に連載した『恐妻家日記』は、後に本になる。神と結婚したシスターたちに大好評だった。「人間と結婚しなくてよかった」と胸をなでおろしたという。
 ▼その奥さんをすでに見送り、今は桜の木の下で仲良く眠っている。金田浩一呂。「かねやん」の愛称で、夕刊フジに秀逸な書評と軽妙なエッセーを長く書いてきた。親しい人を小欄で取り上げるのは気が引けるけれど、愛すべき人柄を紹介せずにはいられない。                      http://sankei.jp.msn.com/life/news/110829/trd11082902390000-n1.htm



 遠藤周作氏と気が合ったのも、実にわかる。



 死んで後に本当にその人の評価が分かるものだ。
 いま目の前の評価なんか、くそっくらえじゃないか。
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